4月改編後のネタ見せ番組−レッドカーペット、レッドシアター、あらびき団、エンタの神様など

4月の番組改編から2か月が経った。今回、僕として大きな変化と感じていたのは、

1.”爆笑レッドカーペット”が水曜10時から土曜7時というゴールデンタイムに繰り上がった。
2.深夜枠だった”THE THREE THEATER”が、”爆笑レッドシアター”と名前を変え、水曜10時に繰り上がった。
3.登竜門”新しい波16”が終了した。

という3点。また、今回の番組改編とは直接には関係がないが、

1.あまり東京のテレビで紹介されてこなかった若手芸人を多く紹介していた”やりすぎコージー”も、昨年10月から月曜9時枠になった。
2.いつの間にか、”エンタの神様”に、”レッドカーペット”や”あらびき団”で注目を集めた芸人たちが多く登場するようになった。

という変化についても、注目しておく必要があるように思う。

ゴールデンタイムにあがることは、番組にとっては名誉なことだが、ターゲットが変わることにより、内容自体の先進性が失われてしまう。それは不可避なことだろう。実際、”やりすぎコージー”は試行錯誤を経て、ゲーム的なものやときには動物ものなども取り入れながら、王道のバラエティ番組の方向へと向かっている。異端的な芸人が大きく取り上げられる機会もそれに伴って減ってきたように思う。
”レッドカーペット”についても、天津木村が出なくなったことが象徴するように(*註)、やはり登場する芸人、ネタ自体に、ある枠がかかったように思う。ネタや新しい芸人に驚く、という体験は残念ながら、最近ない。

   (*註: と思っていたら、本日の放送でがっつり登場し、且つ飛距離のある詩吟ネタを披露していて素晴らしかった。しかも、ゴルフの片山がレッドカーペット賞を天津木村にあげていた。普段、レッドカーペ           ット賞は意味がなく、意味がないことがいいと思っていたが、今回彼が受賞した意味は案外大きいのではないか?さすが片山、勘どころをおさえている)。

それはそれで想像通りだし、致し方ないこととも思っていたのだが、しかし、最近、これらの番組をさほど面白いと思えなくなったのは、本当にゴールデン進出だけのせいだろうか、という疑問がわき始めた。というのは、他のネタ番組でも、同様の凡庸化が進行しているように感じるからだ。

例えば、”あらびき団”。最近、新しく出てくる芸人やネタについて、”あらびき”を通り越して、単なるジャンクであったり、テレ東の”イツザイ”の”インディーズ芸人オーディション”的なものが増えてきたように思う。また、いわゆる”あらびき団”的なはずし方を、意図的に狙ってくる芸人も増えてきたように思う。つまり、自己イメージの模倣が生じている。それらのことが、この番組の驚きを奪っている。

また、もともと僕は好きではないが、”エンタの神様”の節操のなさには目を覆うものがある。この番組の最大の罪は、”レッドカーペット”や”あらびき団”で輝いた芸人をそのまま引き抜いてきて、且つ、その輝きを奪う点にある。”あらびき団”でその面白さをきちんと引き出してもらえた芸が、あの、ただだだ広い舞台と、白痴的な観客と幼稚な演出により、見事に形骸化されているのだ。そこに残るのは芸の残骸だというのは、言いすぎだろうか?

少し話はずれるが、そもそも、”エンタの神様”が数年前に勢いのあった頃(”ギター侍”とか”桜塚やっくん”だっけ?)、ひとつの思いつきのようなキャラクターを立てながら芸能人の噂話に突っ込んだりして共感の笑いを取る、というパターンだらけになっていたのもひどかった。僕は当時、この番組のことを、”ネオコン新自由主義的なお笑い番組”と言っていて、周囲から、”はあ?”と言われていたのだけど、つまり、政治的(演出的)には超保守であり管理的、経済的(出番や尺的)には競争加速、使い捨て、という、当時のブッシュ的醜悪さを共有しているように思っていた(まあ、そういう意味では”時代の精神”にあっていたとも言えるかも。実際、ブッシュの言葉の戯画的側面(悪の枢軸国、とか、十字軍がどうの、とか)と、”エンタ芸人”の戯画的キャラクターは、同種の(単純な)”物語への回帰”という、近代後のひとつの動きを共有しているのだ)。

まあ、”エンタの神様”の悪口はそれくらいにして、楽しいことを考えたい。”爆笑レッドシアター”についてである。期待通り、時間があがり、枠も1時間になった。素晴らしいことだ。
番組的には、今のところ、はんにゃの金田が人気を引っ張っている。ずくだんずんぶんぐんゲームは、個人的には、昔、松本人志が”ごっつ”でやっていたダンスの先生ネタと同じじゃん、とつい年寄りじみたことを言いたくなったりもするが、まあ、楽しいので許す。期待のジャルジャルは、まだ弾けていない。今のところ、ネタは彼らの持ちネタをアレンジしたものばかりだし、そもそも、彼らはもっと長くやったほうが面白いのだ。うっちゃんが、”あいつらはいつも、ひとつのことに拘る”と言っているが、そのとおりで、そのひとつのことへのこだわりがグルーヴを得るには、もう少しだけ尺が必要なのだ。東京に引っ越してきたようだし、今後、どうアジャストして、弾けてくれるのか、まだまだ欲求不満ではあるが引き続き期待して見守りたい。ジャルジャルについては、密かに今年秋の”キング・オブ・コント”あたりで大化けしてくれないものか、と勝手に期待しているのだけど・・・。柳原加奈子は、本当にすごい。司会もただただいつも、”すごい”と言っているが、こないだゲストの清水ミチコが、”あんな先輩がいたら、自分はデビューしなかった”と言っていたのには、軽く感銘を受けた。あの溢れる才能は一体なんなんだろう?
ロッチ、我が家も、ほんと苦しくならないというか、実力があるんですよねえ。ただ、フルーツポンチとしずるはちょっと苦しくなってきてる気がする。狩野英孝は、みんな悪く言ってるけど(最近、愛情のある悪口なのか、ほんとに悪口なのか、よく分からなくなってきた)、”ロンドン・ハーツ”を見て以来、僕はどうしても嫌いになれない。ある意味、すごいと思う。
いずれにしても、この番組はとにかく毎週コントを自分たちで作ってるわけで、それは大変なことだ。いずれしんどくなる。長く続けて、且つ彼らのタレント的な力も引き出す意味で、番組の構成は(それこそ、ゲーム的なもの、ロケ的なもの、大喜利的なもの、連続劇コント的なものなど)王道パターンをもっと取り入れてもいいのでは、とファン心理から、少しはらはらしながら見ている。

そんなわけで、今テレビのネタ番組の中で、”期待”という言葉を使えるのは、”レッドシアター”だけである。まだまだ全体的に”硬い”感じがするが、のびしろは大きいだろう。
一方で、驚きとともに発見する新たな笑いの形、もしくはなぜ自分がそんなに笑っているのか分からないまま笑ってしまう、そんな体験は、今度はいつ訪れるのだろうか。不安を感じつつ、あくまでその出会いを信じたい。