閑話休題 多和田葉子 「溶ける街 透ける路」 

数日間の予定でヨーロッパに行かなくてはいけなくなって、出発の前夜に荷物を詰めていると、飛行機ん中でこれ読んだらいいよ、とAが一冊のハードカバーを差し出してくる。多和田葉子の「溶ける街 透ける路」というエッセイ集。多和田葉子の本は僕が最初に好きになってAに紹介したが、今では彼女のほうが良い読者になっている。
この本は、作者が朗読会や大学の招待などで廻ったヨーロッパやアメリカのそれぞれの土地についての短いエッセイをまとめたもので、2006年に1年間、日経新聞土曜版に掲載されたいたものだ。
多和田葉子の小説には、なんというか、書かれている文字そのものが体温を持っていたり、体をくねらせたりするような不思議な体感があって、いつも驚嘆させられるけど、以前読んだ「エクソフォニー」もそうだったけど、エッセイも本当に素晴らしい。肉体感覚、と一言で言うとつまらないけど、体の感覚を全開にして街と向き合っているような、その肉体感覚というのが文字そのもののような、そしてその感覚を束の間共有させてもらっているような、幸せな時間を味わうことが出来た。
例えば、彼女がフランクフルトのブックフェアに出向いたとき、慌ただしく会場内を駆け回っている中で、ふいに、地面に鳥のヒナが落ちているのを見つける。彼女は考える間もなくヒナを手の平にすくいあげ、両手に包み持ったまま、インタビューの会場に向かう。
 
「インタビューの最中、手の中で鳥がもぞもぞと動き出した。「何もってるんですか」と訊かれて、「鳥です」と答えた。ドイツには「鳥を持っている」という慣用句があり、「ちょっとおかしい」という意味だ。わたしはこの日、文字どおり鳥を持っていたのだ。」

この文章は、その後、次のように続き、結ばれる。

「用事がすべて終わると会場を出てあてもなく町を歩いた。目の前にふいに木のうっそうと茂った公園が現れた。驚いてあたりを見回すと、わたしはそれまで知らなかった緑の町フランクフルトに囲まれていることに気がついた。ずっと手の中にいたせいか鳥の身体が暖かくなっている。手を開けて見ると、鳥と目が合った。風が吹いて、頭上で枝がざわざわと鳴った。その時、鳥はぶるっと身震いして、細い爪で強くわたしの手を蹴り、飛び立っていった。なんだ、飛べたんだ。わたしはだまされたような気持ちで、飛んでいく鳥の後ろ姿を見送っていた。」

すっと、町や目の前のものとすぐさま肉体的な交感をしてしまう、免疫不全のような感覚。感嘆しながら、しかし、実際に自分が海外に出たり、仕事をしている現場のことを思うと、脅えのような気持ちに捉えられる。そんな風に、自分を見知らぬ何かに対して開いてしまうことは、とても怖いことだ。