閑話休題 多和田葉子と僕自身の貧しいツアリズム

(以前、前半だけアップしていたものの全文。個人的な文章)

数日間の駆け足で、急きょロンドンとパリに行かなければならなくなって、出発の前夜に荷物を詰めていると、飛行機ん中でこれ読んだらいいよ、とAが一冊のハードカバーを差し出してくる。多和田葉子の「溶ける街 透ける路」というエッセイ集。多和田葉子の本は僕が最初に好きになってAに紹介したが、今では彼女のほうが良い読者になっている。

この本は、作者が朗読会や大学の招待などで廻ったヨーロッパやアメリカのそれぞれの土地についての短いエッセイをまとめたもので、2006年に1年間、日経新聞土曜版に掲載されたいたものだ。

多和田葉子の小説には、なんというか、書かれている文字そのものが体温を持っていたり、体をくねらせたりするような不思議な体感があって、いつも驚嘆させられるけど、以前読んだ「エクソフォニー」もそうだったけど、エッセイも本当に素晴らしい。肉体感覚、と一言で言うとつまらないけど、体の感覚を全開にして街と向き合っているような、その肉体感覚というのが文字そのもののような、そしてその感覚を束の間共有させてもらっているような、幸せな時間を味わうことが出来た。

例えば、彼女がフランクフルトのブックフェアに出向いたとき、慌ただしく会場内を駆け回っている中で、ふいに、地面に鳥のヒナが落ちているのを見つける。彼女は考える間もなくヒナを手の平にすくいあげ、両手に包み持ったまま、インタビューの会場に向かう。

「インタビューの最中、手の中で鳥がもぞもぞと動き出した。「何もってるんですか」と訊かれて、「鳥です」と答えた。ドイツには「鳥を持っている」という慣用句があり、「ちょっとおかしい」という意味だ。わたしはこの日、文字どおり鳥を持っていたのだ。」

この文章は、その後、次のように続き、結ばれる。

「用事がすべて終わると会場を出てあてもなく町を歩いた。目の前にふいに木のうっそうと茂った公園が現れた。驚いてあたりを見回すと、わたしはそれまで知らなかった緑の町フランクフルトに囲まれていることに気がついた。ずっと手の中にいたせいか鳥の身体が暖かくなっている。手を開けて見ると、鳥と目が合った。風が吹いて、頭上で枝がざわざわと鳴った。その時、鳥はぶるっと身震いして、細い爪で強くわたしの手を蹴り、飛び立っていった。なんだ、飛べたんだ。わたしはだまされたような気持ちで、飛んでいく鳥の後ろ姿を見送っていた。」

すっと、町や目の前のものとすぐさま肉体的な交感をしてしまう、免疫不全のような感覚。感嘆しながら、しかし、実際に自分が海外に出たり、仕事をしている現場のことを思うと、脅えのような気持ちに捉えられる。そんな風に、自分を見知らぬ何かに対して開いてしまうことは、とても怖いことだ。

ロンドンには十数年ぶりに行ったが、飛行機が低空飛行になり、ロンドン郊外の農地を窓から見下ろして、なにか不穏な塞ぐような気分になった。忘れていたけど、それは十数年前にも感じた気分だった。緑の農地の中を、くねりながら道が網の目のように広がっていて、その道のところどころに、蜘蛛が繭をつくるように、赤い屋根で統一された小さな集落が張り付いている。整備されていない、中世の小さな豪族都市を連想させるような風景。それが、閉鎖性や無明性のイメージと繋がるのだろう。僕自身の貧しいイメージ、偏見の問題にすぎないが、その気分は町中に着いても消えなかった。

パリでトランジットがあったから、ほぼ一日かがりの移動にくたくたに疲れていて、そのまま眠ってしまいたかったが、翌日の仕事の場所を確かめつつ、夕食にファストフードでも買ってしまおうと思い、少し小雨の降る

町に出た。仕事の場所まではホテルから歩いて10分くらいのはずだったが、さんざんに迷い、体が冷えた。場所を確かめるために、背の高いビルを見上げているうちに、何年も前に、その町を同じように見上げたのかもしれない、もうひとつの視線のことがふいに意識にのぼり、さらにも気持ちが塞いだ。なんとか翌日の会場を見つけた後、マックでハンバーガーを買ってホテルの部屋で食べたが、何の味もしなかった。

ロンドンの二日間は、結局仕事場とホテルの往復で終わり、早朝にパリに移動した。ロンドンとは間逆に、飛行機からパリの町を見下ろすたびに、他愛もなく軽い気分になる。最近、読んでいた本のせいで、タクシーの窓から見知った町並みを眺めながら、この町でバルトは書いて交通事故で死んだ、ドゥルーズもここで書いて窓から飛び降りた、とひどく軽薄な感傷にひとしきり浸った。

午前の用事を済ませて、ジョルジュ・サンク近くのホテルにチェック・インすると、Kさんからメッセージが残されていた。Kさんは、幼少期と高校・大学時代をパリで過ごした女性で、たまたま同じタイミングでパリにいるから、夕食を一緒に取ろうという話をしていたのだった。

夕方、Kさんと連れだって、オデオンからサンジェルマン界隈をぶらついた後、彼女が子供の頃から通っているという、小さなビストロに入った。ビストロは地元の人でごった返していた。僕は子羊のローストを頼み、Kさんは、名前を覚えていないけど、ひき肉とポテトのマッシュのグラタンのようなものを頼んだ。ここではいつもこれを頼むのよ、とKさんは言った。一口食べさせてもらったが、素朴だけど、鮮やかな味で、絶品だった。

ワインを飲みながらあれこれ話をし、一瞬会話がと切れたときに、僕が、一度パリには住んでみたいですよ、と考えのないことを呟くと、Kさんは少し黙って、あなた、それは幻想よ、パリなんて経済も悪いし、少し場所をはずれれば貧しくて治安も悪いし、おすすめはしないわ、たまに遊びに来るくらいがちょうどいいのよ、と言う。僕は黙ってうなづくしかなかった。幻想。軽薄なイメージ。折り返されたオリエンタリズム・・・。

そうだよな、と思いながら、僕は酔った頭で脱線するのだった。ただ、そんな軽薄なイメージがそれでも人を突き動かすのだ。騎士道小説を読みすぎて風車に突撃したドン・キホーテや、ロマンスを読みすぎて不倫に走ったボヴァリー夫人の愚かさは、今もなお、続いている。ロンドンと結びついてしまった過去がまた瞬間目の前に浮かび、僕はしばらくの間、黙り込んでしまった。過去は、小説に書かれるように、線上の時間を遡行して追体験されるものではなく、それは磁力をもったひと固まりの実体のようなもので、ふいに目の前に現れ、今を脅かすのだ。

ふたりで赤ワインのボトルを1.5本飲み干し、なんでだか大笑いしながら、店の前でKさんと別れ、僕はタクシーに乗った。ホテルに帰る途中、セーヌ川沿いの道に出ると、川向うで、エッフェル塔が、白く瞬いている。ある特定の時間にはそうなるのだろうか、白金の花火を体中にまとわりつかせたように、冷たい光を放っているのだった。それは、クラピッシュの「PARIS」で、不治の病になったロマン・デュリスが、アパートから見下ろしたエッフェル塔だった。僕は、しばらくそれを眺めた後、写真を撮りたいと普段思わないことを思い、ポケットの中から携帯を取り出そうとしたが、手間取っているうちに車は市街地に入り、塔は見えなくなってしまった。

部屋に帰ってからも落ち着かなくて、僕はもう一度コートを手に持って、ホテルを出た。歩いてセーヌ川まで行き、対岸を見上げると、塔はいつもの夜と同じように、黄金色にライトアップされた静かな姿を見せている。特別な時間は終わったらしい。僕はそれでも、折角来たのだからと、携帯のカメラで塔を撮った。画面に収まった小さなエッフェル塔は、まるで絵葉書の絵柄そのもので、僕は軽い失望を感じた。星の最後の瞬きのように輝いていたそれは、結局、パリの観光名所を意味する貧しい記号として、僕の手元に残ったのだった。

その後、ホテルに帰るつもりで歩いているうちに、どこでどう間違えたのか、僕は別の道を歩いているらしい。酔いの名残りも手伝って、むしろ愉快な気持ちで知らない道を歩いていると、目の前にぼんやりと、凱旋門の巨大な影が見えた。大通りから眺める正面からの姿ではなくて、ななめ裏側から見上げることになった。予想外の場所に出て、僕はしばらくきょとんと、見なれたはずのその建造物の、案外憂いを帯びた様子を見上げていた。そして、それにしても、思ってもみなかったところで、パリの名所巡りをすることになったもんだ、とふいにおかしくなった。